「書の楽しみは臨書にある」と語った天来。手本は、中国は唐代以前、日本は平安時代以前の書の古典です。
もちろん肉筆はあまり残っていませんが、書道の手本にするために肉筆を石に刻し、これを拓本にとったものが残っています。
臨書第一期は絶対的手本本位、一点一画ゆるがせにしないように注意をして、できるだけ写実的に臨書します。
臨書第二期は自分本位の時代。自分の主義(用筆法)を決めて、どんな古典もこれにあわせるつもりで臨書をします。臨書第三期になると、手本本位でも自己本位でもなく、自分と手本が知らず知らず融合して臨書に余裕が生まれ、作品が自然になって臨書というより創作のように見えるようになります。
これが臨書の最高のものですが、これで卒業というわけではありません。常に臨書を続けることによって、学んできた名家の筆跡の中から甲から一分、乙から二分というように、自分の天性に近いところが自然に集まり、一体となって現代人はもとより過去にもなかった新しい表現が生まれます。これこそが真の個性なのです。
これは、臨書のさわりになりますが、このような深いところをお伝えし学んでいただければ幸いです。